ジムと見栄
先月からジムに通い始めたのだが、これが思いのほか楽しく、自分でも驚いている。大浴場もあり、トレーニングの後に風呂に入って疲れを癒すのはすこぶる気持ちがよい。週に2〜3回くらいは通っている。
実は3年前くらいに、別のジムに通っていたことがある。外を走ることが好きだし、トレッドミルは退屈で性に合わないので、ジムに通うつもりはなかった。でも、一時期故障をしてあまり走れなくなってしまい、何か別のトレーニングができないかと考えた時に、ジムのプールでスイミングをしようと思いたち、入会した。正直な話、僕はあまり泳ぎが得意でなかったので、まずはプールプログラムに参加し、ゆくゆくは一人で自由に泳ぎたいと思ったのだ。
その時期、僕は毎週月曜日が休みで、偶然にも月曜日の午前中に初心者向けのプログラムが組まれていたので、ゴーグル、キャップ、スイミングパンツを買い揃え意気揚々と初回の講習にむかった。
参加してみて驚いたのは、参加者のほとんどが高齢者だったことだ。
よく考えてみればすぐにわかることではあるのだが、月曜の午前中に普通のサラリーマンやOLが参加できるわけがなく、30代の受講生は僕一人だった。
初めの頃は楽しく参加していた。新しいことを覚えるのはワクワクするものだし、普段あまり接点のない高齢者の方々とちょっとした話ができるのも楽しかった。のんびりとした雰囲気はとても心地よかった。
ただ、4回目、5回目と回を重ねるごとにだんだんとジムに足が向かわなくなっていった。ジムが自宅から遠かった、受講生の数が多く、もう少し指導を受けたいなど理由はいくつかあるのだが、クラスの雰囲気に馴染めなかったのが一番の理由だ。
初めこそ、世代の違う方々との会話を楽しむことができたのだが、共通の話題もないので、徐々に会話はなくなり、僕は一人黙々と泳いでいた。それだけであればよかったのだが、何よりも周りに比べて泳げないことがとても恥ずかしかった。初心者プログラムに参加しているのだから、泳げなくて当たり前だが、僕はクラスの中でもダントツで下手だったし、すでにかなり泳げるにもかかわらず初心者クラスに参加している方もたくさんいたので、目立って下手くそだった。普段であれば、まーしょうがないと開き直れるのだが、なぜだか、その時はそう思えなかった。結局僕はそのプログラムを最後まで終えることができず、ジムを退会した。
しかし、今回はとても楽しく通っている。
前回と同じようにプールプログラムが一番の目的であり、まだそのプールは始まっていないのだが、なんとなくいい雰囲気だ。前回のジム選びの反省を生かして、自宅から近いところを選んだし、大浴場があり、まだできたばかりの新しい施設であるというのも気に入っている理由の一つだが、最近、別のところに理由があるような気がしている。
「見栄を張れる」ということだ。
自宅で黙々とトレーニングをするのではなく、ジムでトレーニングするメリットのひとつとして、「誰かに見られている」環境の中でトレーニングができるということだ。これはジムだけでなく、例えば、予備校の自習室のようなところでも当てはまる。周りが必死に勉強している姿を見ると、自分も勉強しなければという気持ちになる。これと同じで、周りが必死にトレーニングをしている姿を見ると自分も頑張ろうという気持ちになる。逆にその姿を見られれば見られるほどもっと頑張らなければと思う。自分を良く見せようとして頑張る。
つまり「見栄」だ。
その気持ちは異性だけでなく、同性に対しても「俺なかなかやるでしょ」のような気持ちとなって現れ、自分自身を鼓舞する。このような状況にのほほんとした雰囲気はないのだが、トレーニング効果を感じている。
今、振り返ってみれば前回のジムは居心地が良すぎたのだと思う。自分自身の能力を高めようとすれば、多少の緊張感は必要だ。ほど良い緊張感があるからこそ、今、楽しくジムに通っているような気がした。